知ることからはじめよう、脳の健康。
お問い合わせ

インタビューこころの健康と認知機能の関係を考える

武田 雅俊 先生

学校法人河﨑学園 / 大阪河﨑リハビリテーション大学学長
大阪大学名誉教授
武田 雅俊 先生

前日本精神神経学会理事長で、昨年まで世界生物学的精神医学連盟理事長を務められていた大阪河﨑リハビリテーション大学の武田雅俊先生(精神科医)にお話を伺いました。
(取材:2020年3月3日 大阪河﨑リハビリテーション大学)

モチベーション、生きがいは、認知機能に良い影響を与える

── 「こころの健康と認知機能の関係」を考えるうえで、まず「うつと認知機能の関係」についてお聞きしたいのですが。

一般的に、認知機能が低下する認知症は脳そのものの障害で、こころのはたらきが低下するうつ病は脳の機能の障害と考えられています。
だからコンピュータに例えて、認知症はハードウエアの問題、うつ病はソフトウエアの問題といわれたりするんですね。

この考え方だと、認知機能というベースがあって、その上にこころが乗っかっていることになります。でも本当にそうなのでしょうか。私がもの忘れの人を診ている外来には、うつ症状の人も多く来られます。そういう人たちとお付き合いしていて感じるのは、認知機能を健康に保ち、社会生活を差しさわりなく送るためには、モチベーションや意欲、ポジティブな気分といった、こころの健康が重要なのではないかということです。

少なくとも、認知機能とこころの健康は、どちらがハード(本体)でどちらがソフト(付属)という単純な関係ではありません。お互いに複雑に影響し合う、もっと複雑な関係だと思いますよ。

── こころの健康の一つの例として、モチベーションについてお話いただけますでしょうか。

音楽療法や動物介在療法(アニマルセラピー)など、認知機能に良い影響を与えるといわれれる活動がありますが、本人がやりたいと思って喜んでする活動であれば効果があるというのが現在の共通した認識です。私はよくもの忘れの外来で、ご本人やご家族に「学習ドリルみたいなものを嫌々やったり、やらせたりしても意味がありませんよ」と説明しています。

── 日々の生活の中でモチベーションを感じ続けるためには、何が必要なのでしょう。

生きがい、のようなものが大切ではないでしょうか。自分がどういう人生を送りたいか。自分の人生にどんな価値を見出そうとしているか。たとえば自分の奥さんを大事にするというのでもいいし、他人のために何かボランティアをするのでもいい。自分の人生を自分一人で完結させず、自分以外の人とどう関わるかというところから、生きがいが得られるように思います。

特に高齢になってからは、自分の人生をしていかに社会に貢献できるか──これまで培ってきた経験、知識、能力などの集大成をいかに社会のために役立てられるか、ということが、「良い人生だった」と満足できるための重要なカギになります。しっかりと目的を持ち、それぞれの人生に応じた生き方をすることが求められる時期です。

そうした大きな考えに立てば、たとえば定年を過ぎても自分のペースで社会参画する、働くということも生きがいの一つになるでしょう。それがひいては認知症のリスクを低減することにもつながります。
実際にフランスでは、60歳で退職する人に比べ、65歳まで仕事を続けた人のほうが認知症の発症リスクが15%低くなることが報告されています※1

他人との関係性を意識することで「認知予備力」が高まる

── 高齢になる前から意識しておいたほうがいいことはあるでしょうか。

先ほどのうつ病と認知症との関係でいいますと、10年以上前になったうつ病が、10年以上過ぎた後の認知症の発症リスクになることが知られています※2。脳内の神経ネットワークの活動が停滞している時期があると、後々認知症になりやすいと考えるのが妥当でしょう。
高齢になる前の過ごし方が大切ということについて、修道女を対象にした有名な研究があります。修道女たちが20歳ごろに書いた自伝の文章能力と、高齢になってからの認知症との関係を調べたものです。結論は、「若い時の文章能力が高い人は、高齢になってからも認知機能が良好に保たれ、アルツハイマー病になりにくい」というものでした※3
ここで興味深いのは、修道女が亡くなった後に脳を解剖したところ、生前の認知機能は低下していなかったにもかかわらず、脳の中にアルツハイマー病特有の変化がある人が少なからずいたということです。
この結果を踏まえて、先ほどの結論を言い換えると、「若い時の高い文章能力は、脳内の病的な変化をくい止めることはできないが、認知機能を保ち、認知症になるリスクを減らすことには役立つ」となります。

── 脳の病的な変化イコール認知症ではないんですね。

ええ、そこにはギャップがあります。そのギャップを説明する仮説として、「認知予備力」という考え方が提案されています。要するに、「脳に病的な変化が生じても、認知機能を低下させない予備力」ということです。

若い時の文章能力と同様に、中年期に脳を活性化させること、適度な運動をすること、肥満や高血圧、高血糖にならないこと、そしてこころの健康を保つことは、どれも認知予備力を高めると考えられます。

こころの健康について考えてみましょう。
精神疾患の人を診ていて感じるのですが、みなさん自分の手に負えない物事に直面した時に症状がでます。中でも非常にピュアで、“ガラスのこころ”のように傷つきやすい人は、ちょっとしたストレスでも精神症状が現れてしまう。主治医としては、「もうちょっとストレスに対するキャパシティが大きかったらいいのに」「もうちょっと打たれ強くなってほしい」と思うことがままあるわけです。

言い方は難しいのですが、「自分のことにもう少し責任を持つように努める」という方向に意識が向いてもらえたら、ストレスに対するキャパシティが大きくなるように思います。そのためには何が必要かというと、やはり自分のためよりも自分以外の人のため、ということになるでしょう。どんなに落ち込んでいても、たとえば子どものため、奥さんのため、という思いがあればもう少し踏ん張れるはずです。人を思いやり、社会の中で一定の役割を果たしていきたいという気持ちがあれば、回り回って自分のこころの健康を保つことに役立つのではないでしょうか。

── 先ほどのお話の社会参画、たとえば地域コミュニティに参加して地域の人たちと交流するといったことも、こころの健康を保つ重要なファクターになりそうですね。

ええ、大事な視点です。さらに付け加えさせてもらうなら、社会参画というときに、自分は何も考えず、ただ他人の言うことに従うのではなく、自分が主体的に考えながら、他人とどう協調していくかというところがとても重要になります。自分と他人との関りをもう少し意識しながら生活する。自分のあり方を考えるためにも、他人のことを考える。

少し難しい話になりましたね。ただ、他人との関係性を意識したほうが、生きがいを持ちやすく、こころの健康を保ちやすいと思います。これは精神科医としての経験から、高齢期だけでなく、壮年期、青年期の人たちにも伝えたいメッセージです。

※1Dufouil C, et al. Eur J Epidemiol. 2014; 29(5):353-361.

※2Dotson VM, et al. Neurology. 2010;75(1):27-34.

※3Snowdon DA, et al. JAMA. 1996; 275(7):528-532.